校長挨拶
12歳のわたしとぼく
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12歳のわたし ぼく「感じる」


人を超えた存在を感じ、カトリックの教えに根ざして生きる方向性を持っています


カトリック学校ならではのカリキュラムです
祈りに始まり、祈りに終わる学校生活です。
毎週、全校朝礼や宗教の時間に校長先生、宗教専科の先生方から聖書のお話を聴きます。子ども達は、感じたことや思ったことを「みことば作文」にし、6年間ファイリングし、ポートフォリオにしています。海星小学校では、手のひらサイズの学校の利点を活かし、一人ひとりに合わせた学習計画を立てます。
「詰め込み」学習ではない、「学ぶことの楽しさ」と、「できる喜び」を実感できる環境を整えています。
カトリック学校ならではのカリキュラムです

題  「よいとちにまかれたたねはたくさんみのる」
マタイ13章9節
2年 水田ゆうみ
 たねはどんなにいいところにまかれても、ともだちにいやなことをしたり、「はい」といわなかった人は、ほかの人からたねをどこかにおかれるというところがこころにのこりました。
 こころがやさしくて、あそびにいれてといわれたらいれる人やせんせいからいわれたことをちゃんと「はい」という人は、たねからめがでて、きれいなはながさくのかなとおもいました。



題  「ほうとう息子と父」
ルカ15章11〜32節
5年 河本世奈
 私は聖書の「ほうとう息子」を読んで心に残ったところがありました。それは、二人の息子の弟が、お父さんの気持ちも考えないで自分勝手なことをしたとき、お父さんはどんなに悲しいおもいで息子をみたかということです。
 私にも、いつも心配してくれ、どんなことがあってもお父さん、お母さんがやさしくしてくれます。
 時には、悲しませることもあったと思います。でも私のお父さん、お母さんはいつも許してくれます。
 聖書に出てくるお父さんは私のお父さん、お母さんと同じ思いなんだなと思いました。
 自分勝手な息子の帰りをいつも神様にお願いし待っていたお父さん。
遠くから息子の姿が見えたとき走り寄って抱きしめました。ただ何もいわずお父さんは、身勝手な息子のあやまりもきかず大喜びで迎え入れました。
 きっと身勝手な息子ですが、いつかはわかってもどってきてくれると信じていたのでしょう。聖書に出てくるお父さんのように、私も人を許せるやさしい人になりたいと思いました。
カトリック学校ならではのカリキュラムです
俳句の基本の「写生」とは、俳句に詠もうとする植物や昆虫、動物といった対象をよく観ること、そしてそれを言葉で表現することです。対象をよく観ることで、それの持つ新しい一面や姿を発見します。その発見を俳句にすることで、新しい言葉と出会います。俳句とは「新しいこととの出会い」なのです。
カトリック学校ならではのカリキュラムです




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