第1学期 終業式 校長 古賀誠子
期末考査では、力を出し切ることができたでしょうか。特に3年生は、高校卒業後の進路を見据えて、全力を出し切ったことと思います。入試も様々な形態で行われるようになった現在、3観点別で評価されてだされた「評定」は、校内外の選考における、とても大切な資料になります。可能な限り、高い評定を取りたいものです。特に3年生は、夏休みが明けると、まず校内で推薦会議が行われます。社会で自分を役立てるために、時間を逆算して、どの大学・専門学校に進んで、どの分野の学問を究めればよいのか、行きつく先にある社会での立ち位置、自分でしっかりと定めてください。そこには神様からの召命があり、あなただから与えられた使命があります。この夏でしっかり親、担任と話し合い、固い決意をもって、学校推薦や、指定校推薦入試などを希望する人は、必要書類を提出してください。
さて、第1学期、本校の2人の生徒についてお話ししたいと思います。まず一人目は、二年生のある生徒の話です。朝の通学途中、3歳の男の子が、保護者を伴わずに裸足で警弥郷付近を道に迷い、泣きながら道に迷いうろうろしていた。その状況が、普通でないことを察した本校生徒は、通行人と共同して、男の子を保護し、110番通報、男の子は無事保護され、保護者の下へ戻ることができました。もう一人は、80歳を超えたおばあさんが、35度を超える真夏日に、バスを乗り間違えてとても困っていらっしゃった。それを察した本校生徒が、一緒にバスを降り、おばあちゃんが乗らなければならないバスが来るまで一緒に待ち、おばあちゃんを正しいバスに乗せてあげたという話があり、いずれも学校に感謝とお礼のお電話がかかってきました。そのお話を聞いて、さすが海星の生徒だと思いました。
今日の聖書の朗読箇所は、「柔和な人は幸いである。その人たちは神の国を受け継ぐからである」、この聖書の箇所についてともに分かち合い、一学期をしめくくりたいと思います。
「柔和(にゅうわ)」という言葉は、現代日本語ではあまり馴染みのない言葉かもしれませんが、ここでの意味はこのように考えられます。「自己中心的でなく、謙虚でおだやかな性質を持つ人」「他人に対して寛容で、怒りや復讐に支配されない人」、もっと神学的に言うと、「神のみこころに従い、心を開いている人」です。「柔和」は「弱さ」とは違います。むしろ、自制心があり、内に大きな力を秘めていながら、それを、人に対して、支配的に用いない人の姿です。
聖書では、その人たちを「幸いである」と言っています。聖書の中の「幸い」とは、「神に祝福された状態」「真の幸せにある者」とされます。これは一時的な快楽を指すのではなく、「神様との絆に基づいた、深く満ち足りた心の状態と安らぎ」を表しています。
さらに、「その人たちは地を受け継ぐ」とはこれは旧約聖書、とくに詩篇37篇とのつながりがあります。「柔和な人々は地を受け継ぎ、豊かな平和を喜びとする。」(詩篇37:11)ここで「地」とは、「神の国」、つまり「神様が用意してくださる祝福の領域」を象徴しています。つまり、「柔和な者たち」は、「神が与える真の祝福を受け継ぐ」という神様から人々への約束の言葉なのです。
みなさんの中から、大学を卒業した後には、将来社会のリーダーとなって活躍する人がでてくることでしょう。毎日、いろんな人と関わらなければならない日々が続きます。その時に、人に対して寛容でなければ、謙虚な気持ちをもって人と接することができなければ、復讐や怒りに任せて、力を振りかざすあなたでは、真のリーダーであるとは言えません。
私たち人間は罪深く、より多くのものを求め、「所有」しようとする欲望がいつも働いています。自分のことや、自分の家族のことだけに目を向け、より多くのものを所有しようと、物を買うことを好み、さらに多くの物を買うために、仕事をしている人もすくなくありません。物質的な所有に限らず、自分の時間を所有することへの執着もそのうちの一つと言えるでしょう。
社会全体が「所有」に執着すると、必ず社会の中には弱者、小さくされる人たちが生まれてきます。これが現代社会の仕組みであると考えます。自分にとってよければ、生活が改善されているという考え、自分にとってよければ、すべてよしとう考えからはじまり、とどめは、人を選別し、貧しい人を切り捨て、「発展」という言葉のもとで、自分こそがと先に行き、後からくるものを犠牲にします。わたしたちの社会は、「所有」に執着し、世界の規模の平和も、そして、個人単位の平和もありません。ウクライナ・ロシア・北朝鮮・ガザ・イスラエル・イスラエル・イランそしてアメリカ、すべて「所有」への執着が原因で、いつ第三次世界大戦が起こってもおかしくない状況です。今こそ、「所有」への執着から離れるべきときです。
「所有」に対する言葉は何でしょう。教皇フランシスコは、「存在」という言葉を用いています。「わたしたちは皆弱く、どこも変わることなく、だれもが大切な存在です。」そして、その存在自体が「希望である」とも述べておられます。わたしたちひとり一人の「存在」、そして他者の「存在」にもっと目を向けてみませんか。そして、私たちの学校は、小さな働きかもしれませんが、社会の中で率先して、「一人ひとりの「存在」が希望そのものである」を強調する学校でありたいと考えます。
冒頭でお話しした2人の小さな働きは、わたしたちの学校にロウソクの光をともし、周囲明るく照らしています。海星にはこんなに柔和な生徒たちがたくさんいる。そして、「こもれびカフェ」のボランティアの人たち、美野島司牧センターで行われるホームレスの方々のための炊き出しに参加する人たち、ありがとう。そして、このひとり一人の存在に基づく希望の輪が広がっていきますように。
2学期は、愛校バザーで始まります。世界の子どもたちのためのチャリティーデーです。福岡海星は神様からの使命を受けているからこそ、ここに存在しています。つまり、わたしたちには、心を一つにして、なすべきことがあるのです。それをなすのは、生徒の皆さん方ひとり一人であり、教職員ひとり一人でもあります。「わたしをお使いください」と言える私たちでありますように。
すでに暑い夏ですが、神様があなたをしっかりと用いてくださるように、自分に厳しく、自分を鍛えていてください。高い目標に向かってチャレンジし、自分を高める時間の過ごし方を選びましょう。よき夏休みをお過ごしください。

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