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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

ミッションウィークⅣ 教諭 大貝 幸司

 今日は7月10日・11日に参加した「福島ホープツーリズム」についてお話しします。
 2011年3月11日、日本観測史上最大のマグニチュード9.0の巨大地震が東北地方太平洋沖を震源として発生しました。福島県は、地震、津波、そして原発事故による原子力災害、風評被害という、世界で類を見ない複合災害を経験した唯一の地域です。
 私たちは、福島県の東部にある浜通りを回りました。私が最も印象に残っている場所は浪江町にある請戸小学校です。請戸小学校は大きな被害を受けましたが、全員が無事避難することができた奇跡の学校として知られています。震災後10年が経ち2021年から福島県内初の震災遺構として、一般公開されています。
 2階の教室の黒板に、文集「うけど~震災から10年後のぼくたち・わたしたち~」という作文集が目に留まりました。今日はその1つを紹介します。

タイトル「いま伝えたい私の10年」
私が、あの震災から10年経った今、伝えたいことは命の大切さです。私は震災直後、このまま私は死んでしまうのかと何度も思いました。今まで感じたことのない揺れや避難した高台で聞いた「請戸全滅」の防災無線、翌日の朝見慣れない防護服を着た人たちの姿、目に入るすべてのものが今まで経験したことないものでした。私は生きることがこれほどたいへんなのか、そして自分の命を守ることの難しさを感じました。あの震災から私は、このような経験を誰にもしてもらいたくないと思っています。

これは、小学校1年生に被災した子どもが、10年後の16、17歳の頃に書いた作文です。皆さんと同じくらいの年齢の高校生が「生きることが難しい」と書いていることに、そして今、普通に生活し、生きていることに、大きな価値を感じることができました。
 「マタイによる福音書」第5章4節に「悲しむ人々は、幸いである。その人たちは慰められる。」という言葉があります。この言葉に、悲しみや罪を真剣に悲しむ人は、神から慰めや赦しを受けるため幸いであると言われます。自分が受けた悲しみを、誰かのせいで、とただ恨み、引きずるのではなく、悲しみを自分自身が受け入れることが大切です。
 また、悲しみは慰められることによってなくなるのではなく、悲しみを背負って生きていく力を与えられます。私は、この作文から、悲しみを受け入れ、優しく、力強く生きてい行く力を感じました。
 皆さんも、日々の生活において、小さな悲しいこと、嫌なこと、誰かのせいで、と思うこともあるかと思います。誰かを非難しても何も変わらないばかりか、自分自身、何も変わりません。悲しみは私たちにとって、悪いことばかりではありません。その悲しみには自分にとって神様からのメッセージであると考え、自分が受けた悲しみを自分自身で受け入れ、次に向かっていきましょう。以前、Sr.入江がお話のなかで「他人と過去は変えられない。変えられるのは自分と未来」という言葉を紹介してくださいました。
 皆さんも、今日から、今から、思いついたことをはじめてください。生きることはとても難しいと考えるとき、生きていることは奇跡だと思います。今年のローマ教皇様のテーマは「希望に挫折はあっても決してうらぎらない」という言葉です。希望を持ち、自分の夢や目標に向かって、 奇跡のように与えられた今日1日を大切にしましょう。 今日も素敵な一日になりますように、皆さんで朝の祈りを祈りましょう。

 


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