3月のみ言葉 と 意向 宗教科 納富 幸夫
3月のみことばは、「ヨハネによる福音書」第15章4節より「わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。」です。
ぶどうの木はユダヤ民族の象徴であり、表象でもあります。イエス様がなぜご自分を「まことの」ぶどうの木であると宣言されたかについては「ヨハネによる福音書」第15章の中にあります。
一方、預言者エゼキエルは、第15章の中で「堕落した」ぶどうの木は、「エルサレムの民」であると述べ、第2章には神のみ言葉として、エルサレムを「反逆の民」と6回も呼び、「私に不実であった」「恥知らずで心の固い者たち」「私に背いた者」などと呼んでいます。
旧約時代の倫理神学によると、人の救いと滅びは祖先・親族などによるものではなく、神のみ前に価値があるかどうか、今の生き方にあると言われています。イスラエルの民は、バビロンに包囲される前に行っていた残虐行為と自身の悪い生活によって、一時的に神に見放され、≪不実の民、反逆の民≫と呼ばれていました。美しいぶどうの木ではなく、その実は未熟で、その枝も役に立たない、焼き捨てるしかない野生のぶどうの木になってしまったのです。
『わたしのうちに留まる』『あなた方の内に留まる』『つながる』という言葉がしばしば出てきますが、一体イエス様はどのような意味で使われたのでしょうか。注釈では「キリスト者は浄められてからキリストとの一致の状態に入る」とあります。
弱い心の者がいるとします。その人が正しい道を歩み続けるためには何が必要なのでしょうか。それはしっかりとした者との交わりを続けていくことなのかもしれません。その人の強さに触れることによって救われるからです。もし交わりを断つなら、弱さに負けてしまうかもしれません。かつての誘惑が湧き出て、堕落してしまう可能性が高くなるかもしれません。悪や誘惑に打ち勝つにはいつも素晴らしいものに触れることが必要なのです。
イエス様の生涯の秘訣は、常に≪神との交わり≫にありました。イエス様は、幾度も神との交わりを求め、寂しい場所へと退き、祈っておられました。イエス様は常に「神の中」に留まって生きておられたのです。私たちもイエス様との交わりを絶えず続けることが必要です。イエス様は、『私の内に留まっていない人があれば、外に投げ捨てられて枯れる』と極めて厳しい言葉を続けられます。
時々、祈りの最中に、「たとえ一時であっても、イエス様の臨在を感じながら過ごす一日を送れたならば」と想像する時があります。そのためには、まず、自分の生活の中で、「祈り」と「静思」の「時」を守ることが肝要であることを、イエス様は、強烈に感じさせてくださいます。第15章で忘れてはならないことは、イエス様との交わりこそが、私たちを≪実りある枝≫とされることです。
イエス様に接している時、私たちは悪に向かうことができません。イエス様は、この「ぶどうの木とその枝」のたとえ話を通して、「小さなマリア」として歩んでいる皆さんが毎日の自分の生活の中で、言葉や行いを通して、まず家族の中に、そして周りの人達へと、実りある枝の成熟した一粒のぶどうの実としての働きを表し、神の愛の素晴らしさを伝えていくことを、強くお望みになっておられます。イエス様は、今日も皆さん一人ひとりの心の中にいて、多くの力を与えてくださっています。そのことに気付かせていただく恵みと、豊かな心、強い意志を持ち続けて歩む勇気を願いながら、たった一度限りの人生を、残りわずかな学年末を意義あるものとして過ごされますよう、心から願っています。

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