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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

「信じる」シスター入江 純子

 暑かった夏が過ぎて大急ぎで秋になり、冬の気配が感じられる今日この頃です。どんどんと時が進みます。この「命」である「時」が素通りしないように、与えられた今日の時を生きたいですね。
 教会では11月2日は「死者の日」です。「死は滅びではなく新たな命の門であり、地上の生活が終わった後も永遠のすみかが備えられています。」私たちはこの日(11月13日)、悲しみの中におられるご家族と一緒に、亡くなられた方々への祈りを込めて慰霊祭を行いました。
私たちが今こうして元気に生きているのは偶然ではありません。
 旧約聖書 第1章に「神はご自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」とありますが、私たちは神の何をかたどって創られたのでしょうか。
「18歳のわたくし」の中には、「生命(いのち)に対する畏敬の念が育っています。」とあります。神はわたしたち一人ひとりを、今この時に愛をもって生きるようにとの思いをもってこの場に置かれたのです。命は時を刻みます。昨日の私ではなく、今日、頂いている恵みの中で生きるのです。頂いている恵みとは、今日出会う人々を自分と同じように愛して生きる場が与えられていることでしょう。
 神さまは、こよなく愛した息子イエス様をマリア様を通して、人として私たちに与えられました。イエス様は、神さまから受けた同じ愛をもって、私たちをご自分の命を懸けて愛されました。
 新約聖書の中に書かれている一番重要な掟とは
「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くしてあなたの神である主を愛しなさい。」 同じように「隣人をあなた自身のように愛しなさい。」
 自分を大事にしなければ他者を大事にすることはできない。私たちは人との出会いによって私が見えてくる。それによって私が私になっていくのです。
 人生には目的があり、それが愛することであるならば、わたしをも信じなさいと言われるイエス様に、困難に遭遇した時の力強い後押しを感じます。信じるとは、神さまに愛されてある自分を信じること。それによって生命(いのち)に対する畏敬の念が育ちます。「神には、何一つおできにならないことはないからです。」という天使の言葉を聞いて、マリア様は、「わたしは、主のはしためです。おことば通り、この身になりますように。」とイエス様のお母さまになることを承諾なさいました。
「マリア様の心」
1.マリア様の心は  受ける心     神のつかいの 告げた言葉を
  なりますようにと 開かれた     信じたかたは しあわせ
2.マリア様の心は  捧げる心    神のひとり子 イエスと共に
  十字架のもとに  立ちつづける  信じたかたは しあわせ
シスターのひとこと
 生命には限りがありますが、神さまに愛されて 愛に生きた人生が死で終わりだと思っていませんか。
いいえ 新たな命の門が開かれます。

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