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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

1月のみことば 宗教科 納富幸夫

テーマ「新しい決意

「求めなさい。そうすれば、与えられる。
 探しなさい。そうすれば、見つかる。
  門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。
  (「マタイによる福音書」第7章7節)

○  新しい年の始まりに、「自ら考え決定したことを誠実に達成」すことができますように。
 「18歳のわたくし」より

○「失敗を恐れず新しい経験に踏み込む」ことができますように。
 「18歳のわたくし」より

〇 ウクライナとロシアのために祈ります。平和が訪れるために私たちができることを考え、実行することができますように。

 この教えは『祈りの憲章』と呼ばれ、極めて重要なことを表しています。
 私たちは祈る時、どんな神に祈っているのか、どんな時に祈りが聞かれるのかを知りたいと時々考えます。
 またこの聖句は、一見祈りの対象である神は、努力しなければ、物惜しみをし、無理押しをしなければ何も与えない神なのだろうかと思ってしまいがちです。しかし、イエスをはじめ、ユダヤの人たちは『耳に口が近いように神は常に被造物の近くにおられる』『神は人が願い事を告げることを大いに喜ばれる』を常として、普段からよく祈ります。そして、イエスはここに、「祈りを愛するように」として、祈りの本質の例を【たとえ】でもって示されたのです。   

もし、子供がパンを求めた時、父親は石を与えるだろうか。もし、子供が魚を求めた時、へびを与えるであろうか。もし、子供が卵を求めた時に、サソリを与えるだろうか。」と。
「マタイによる福音書」第7章7節・「ルカによる福音書」11章12節

 要点は、いずれも二つのものがとても似ているということです。海岸にある小さな丸い石灰岩は、色も形も小さなパンの塊によく似ています。パンを欲しがったのに、だまして食べられない石を与えるだろうか。と言われるのです。同様に魚を求めたのに、へびを与えるだろうか。(へびとはウナギの事で、ユダヤの律法では、うなぎは汚れた魚でした)父親は、食べてはならない食物を与えて、空腹な子供をだまそうとするだろうか。

全ての水の中に居て、ひれも鱗も無い物はあなた方に忌むべきものである
 「レビ記」第11章12節

 また、サソリは休む時には、爪と危険な毒針が付いた尾を折り曲げるので、青色をした種類のサソリが休む時には丁度卵のように見えるので、卵を欲しがる子供をだまして、父親は、人を刺すサソリを与えるだろうか。とイエスは言われるのです。神は、いつ、いかなる時にも私たちの祈りを拒否されないし、私たちの祈りを愚弄されません。必ず祈りには応えられます。そして、『答えは、神のみ心に従って』与えられるのです。 

*(二学期に学習した『病者のいのり』の最後の部分を思い出してみてください。)

 神の答えには、常に『知恵と愛』があることを、このイエスの言葉は私たちに教えているのです。同時に私たちに【義務】をも課しておられます。それは、「求め続けなさい。探し続けなさい。たたき続けなさい」と言われます。祈りは、根気よく続け、諦めないようにと言われているのは、果たして。私は真剣に求めているのか、繰り返し神に願い、求めているものは、神の前に願い続ける種類のものであるのかどうかを考えることなのです。

 イエスは、祈りについて、二つの事を示されました。一つは、神が最も良いと思われる方法で、【知恵と愛をもって、必ず私たちの祈りにこたえられるということです。
 もう一つは、【気落ちせずに祈る生活をする】ことです。 

 私たちが祈り求めているものが、果たして正しいかどうか、私たちの祈る態度が真実で、真剣なものであるかどうかを常に神は見ておられると確信しています。そこで、福岡海星女子学院高等学校の皆さんが新しい年のスタートに当たって、毎日の生活の中に、今月の聖句を生かされることを強く願っています。

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