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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

創立60周年記念 令和5年度 宗教講演会「福岡海星女子学院高等学校 創立60周年に寄せて」シスター入江 純子

 福岡海星女子学院高等学校 創立60周年おめでとうございます。ヨハネによる福音書1章に「はじめに言葉があった」とあります。これは、「はじめに神の想いがあった」ということでしょう。福岡海星女子学院の創立のはじめ、60年前には、誰の、どういう想いがあったのでしょうか。あなたたちはその想いが現実となった今、ここで学んでいるのです。
 今から70年程前に、福岡教区 深堀司教様は、「マリアの宣教者フランシスコ修道会」が福岡教区に病院を創設することを強く希望されました。そこで、まず福岡の高宮に修道院を創設してマリア幼稚園を始めることになりました。その近くには、病院の用地も購入したのですが、もたもたしているうちに地域の状況が変化して、近隣に日赤病院や中央病院が完成してしまったのです。それでも、司教様は修道会が福岡で存続することを願われ、病院ではなく学校の創設を勧められました。このとき、計画は、病院建設から学校創設へと変わったということです。実は、高宮での学校建設も、またいろいろな事情があり認可が困難だったと言います。ただ、結果的に、そのおかげで、現在の美しい広大な校地、老司の土地を購入することになりました。老司の土地2万4千坪の広大な丘陵地は、傍らに満々と水をたたえる老司池がありました。当時、バスは屋形原までしか通っておらず、近くに人家もありません。さまざまな障害の中、多くの方の御尽力と御厚情をいただいて、美しい校地へと変容しました。
 昭和38年3月、初代校長 村田敏子(神戸海星の校長)が福岡に赴任し、9月29日定礎式が行われます。シスター入江は神戸海星に勤務して2年目のことでしたが、建設中に村田校長先生を福岡にお訪ねしました。雨と、工事中で、赤土の泥だらけの道を歩き、裏玄関で、村田校長先生には、ひと目お目にかかっただけで、中に入ることができませんでした。塔の上のマリア様(4m)は、39年に長崎から、3つに分けられて届きました。4月4日、いよいよ海星初の入学式です。制服は今と同じで白いリボン、黒のベレー。高校生53人と中学生が 14人でした。
 村田校長は建学の精神を高く掲げ教育を始めました。服装、言葉づかい、立ち居振る舞いなど、礼儀教育は厳しいものでした。当時、福岡では「お嫁にもらうなら海星卒業生。」と言われたほどです。先日行われたレジーナ・パシス高校との合同ミサの折、あなたたちの後姿を見て髪の毛がきちんと結ばれているので安心しました。生活指導の先生は、ご指導が大変だろうなあと思いました。村田校長は、ネリア様と呼ばれ、厳しい中にも、「塔の上にはマリア様、グラウンドにはネリア様」と子どもたちや保護者から慕われた校長先生です。この校長先生が初めて海星にいらっしゃったとき、満面に水をたたえる湖水に抱かれた台地、白鷺の群れ…スイスの風景を思い出されて、「これは素晴らしい!」と叫ばずにはいられなかったそうです。2代目校長のシスター笹井弥生の時代は、先生方の愛と熱意、それに応じる生徒たちによって困難の中にも豊かな実りが見られました。温かい博多人情も味わいました。 
 「一人一人は神から独自の恵みを与えられたかけがえのないものです」という創立者マリ・ドラ・パシオンの言葉を受けた福岡海星女子学院高等学校の教育目標は、「あなたがたは地の塩です。あなたがたは世の光です」です。これは、聖書の中にあるキリストのみ言葉で、私たちは、このみ言葉をいつも心に留めて実現するよう努めなければなりません。この困難な事業をここまで発展させたのは何の力でしょうか。それはマリアの宣教者フランシスコ修道会の生き方の中にあります。「全世界に行って福音を延べ伝えなさい」というキリストの使命を受けて宣教の熱意に駆られて福岡の地に福音の種を蒔いたのです。永遠に変わらぬものであり、いつの時代にも共通する普遍の真理が学院を支えてきたことを忘れてはならないと思います。創立以来、海星の生徒と教員は、「一人はみんなのため、みんなは一人のために」という気持ちで自分の学校の校風を創っていったように思います。学校目標である「愛をもって真理にむかう」は、創立者が書かれた本の中の言葉です。彼女は、「愛する」とは、「真理」とは何かについての答えを、聖フランシスコの生涯の中に追い求めました。「わが神 わがすべて」の1点から外れることなく、貧しく謙遜に生きたフランシスコです。アシジという土地が生んだ聖人です。この60年間のルーツの上に今ある海星女子学院です。この場に置かれたあなたたち一人一人は、後に続く後輩のために残す一ページに、責任があります。「あなたは世の光である」と神様からお墨付きをいただいて今日を生きている「私」です。「あなたは世の塩である」と神様から太鼓判を押されて存在している「私」です。しっかりとした足取りで61年目への一歩を踏み出しましょう。

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