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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

創立60周年記念式典 式辞 校長 古賀誠子

♰式辞

フランシスコの庭の木々から落ち葉が風に舞い始め、ゆく秋が惜しまれる季節となりました。ルルドの前にあるもみの木に飾られた、色とりどりのイルミネーションが夜を照らし、学院は信仰、愛、そして希望に満ち、一年でもっとも美しい季節、アドベントを迎えています。主のご降誕を待ち望むこの良き日に、ご来賓の方々のご臨席を賜り、ここに創立60周年記念式典を挙行できますことは、本校生徒、職員一同、この上ない喜びであります。神のみ恵みに感謝いたします。

さて、今年は、マリアの宣教者フランシスコ修道会が日本に創立されて125周年、そして本校は創立60周年というお祝いの年です。今日は、あらためて皆さんと共に私たちの学校のルーツを振り返り、ご一緒に本校の原点に立ち返りたいと考えます。1897年、マリアの宣教者フランシスコ修道会、創立者、シスター・マリ・ド・ラ・パシオンは、長崎教区のクザン司教様から、熊本・筑後地区で宣教活動に取り組んでいるコール神父様のハンセン病事業への会員派遣の要請を受けました。クザン司教様から、彼女に書かれたお手紙の中にはこうあります。「シスター方の旅費や修道院の建築費、および生活費のすべてはそちらの負担になります。コール神父様はできるだけ早く、この事業の全責任をあなたの修道会に任せたいのです。そして、コール神父様がいなくなれば、この事業が存続する保障は何一つありません。将来、もし経済的に困った事態になっても、私どもはその責任を持つことはできません。」

熊本の本妙寺周辺には、ゴザをひいて治療も受けずに寝起きし、絶望と苦痛の中にあるハンセン病患者たちが大勢横たわっていました。コール神父様はこの様子をご覧になって、これを「大墓地」と表現し、あまりの哀れさに「胸がえぐられる思いであった」と話しておられます。そして、シスター・マリ・ド・ラ・パシオンは、「何の保障もない」という現実を引き受け、「さあ、行きなさい。貧しさがあなた方を待っているでしょうが、勇気をだしなさい。神様が助けてくださいます。」といって、5人のシスターを熊本に派遣します。およそ1,000人以上の候補者の中から、選ばれた5人のシスターたちは、看護や介護など資格は持たず、ただ大きな愛だけをもって、船に揺られて熊本の地にたどり着きました。シスター方は、まず土地の言葉を学び、土地の習慣に従って生活しながら、献身的に患者の治療、看護にあたり、桶で患者の足を洗うことから始めました。それまで人の世話を受けたことのない、人から触れられたことのない、ハンセン病者たちは、最初は反抗的で堅く心を閉ざし、強い警戒心を示していたそうです。しかし、およそ1か月後には、彼らのほうから安心して足を出すようになりました。また、同じ病気で亡くなった友人の遺体が、シスター方によって丁重に扱われ、棺に納められるのを見て、自分もそのように葬ってほしいと言ったそうです。

本妙寺境内とその周辺のライ集落で行われていた愛の奉仕活動を書き留めていた作家がいます。それは医者の森鴎外で、彼は病院視察に熊本を訪問し、そこで見たこと、聞いたこと、感じたことを医者の目と作家の感性で「小倉日記」に記録しています。鴎外は、本妙寺畔にある中尾丸施療所で医療奉仕をしていたシスターたちを見て、このように書き残しています。

「本妙寺畔に救療院あり。カトリック教『フランチス・カーネル』派のフランス女子数人の経営に成る。医学にあるものにあらずといえども、間々薬を投ず。その功績賞するに堪えたるものあり。」(森鴎外『小倉日記』より)

5人のシスター方の蒔いた小さな一粒の種により、1898年、ハンセン病の患者のお世話をするための「待労院」が設立されました。そして翌年、1899年、捨てられた一人の乳児を収容して、「聖母愛児園」、1915年、俵に捨てられた一人の老婆を保護したことがきっかけで、「聖母の丘老人ホーム」、そののち貧困で治療を受けられない人のために「施療院」が設立され、これが現在の「慈恵病院」となりました。この病院は、蓮田太二先生によって引き継がれ、数々の法的な障壁を乗り越え、世論と戦いながら、「こうのとりのゆりかご」を立ち上げました。「すべての命を守る」と言う揺るぎない一本の軸をもち、「ゆりかご」は、孤独な妊娠と出産に悩むお母さん、そして赤ちゃんの小さな命に徹底的に寄り添っています。そして、その働きは、日本全国を「いのちと愛」に向かわせ、社会に大きな影響をもたらしています。

さて、この宣教の歴史のうちに、福岡海星女子学院も創立されました。昭和38年3月、初代校長 シスター村田敏子が福岡海星に赴任し、翌年4月11日の土曜日、晴れやかに初の入学式を迎えました。今と同じ、謙虚、謙遜、他を際立たせるという意味を持つグレーの制服、十字架を象徴する胸元の白のリボンもさわやかに、紺色のベレー帽をかぶった、高校生53名、中学生14名の入学生でした。25周年記念誌に、設立当初の教育目標が、このように記されています。「『あなたたちは、地の塩です』『あなたたちは世の光です』といわれた、キリストのみ言葉を実現するために、『各人の人格を尊重し、個性をのばしつつ、真理への強い熱意、世界的な広い視野、公正な判断力、謙虚で誠実、そして感謝する心を養い、明朗な、礼儀正しい、教養ある女性を育成する。』」そして、スクールモットー、「愛をもって真理にむかう」は、皆さんもすでにご存じの通り、シンガポール、インドネシアをはじめ、世界中の海星で共有されています。私たちはこの世界に繋がるスクールモットーを背負う一人としての責任を果たし、61年目の福岡海星に確実にバトンを渡していくものでありたいと考えます。

同窓会、保護者役員をはじめ関係者の皆様には、これまで60周年記念事業に様々なご支援をいただき、誠にありがとうございます。これまでに、記念体育会、記念海星祭、生徒とプロのアーティストらによって創り上げたオペラ・記念芸術鑑賞会、シンガポール海星やマリアの宣教者フランシスコ修道会札幌修道院との交わりをもった記念修学旅行、記念テーブルマナー講習会、タイ・プラハルタル・カトリック高校との記念国際交流事業、FMMシスター入江による60周年記念宗教講演会、地域の中学生をまねいた、ニュージーランド姉妹校・ハミルトンガールズハイスクールへの記念短期ホームステイ研修、記念JOY倶楽部クリスマスコンサート、最後に、記念文集発刊と無事に終えることができました。また、生徒の皆さんも、特に、創立60周年の体育会や海星祭をはじめとする学校行事では、自分たちが主体となって見事に創り上げてくれました。皆さんの活躍に心から感謝します。

生徒の皆さん、あなたがたが生きるこの21世紀は、急速なグローバル化や情報化に伴い、社会構造の大きな変動期を迎え、人工知能などの先端技術の導入やデジタル化が進み、あらゆる産業や社会生活が、人間の予測をはるかに超えて加速的に進展しています。このように、将来の予測が困難な、複雑で変化の激しい社会の中にあっては、目先のことにとらわれ、物事の本質を見失いがちになります。しかし、この気高き「愛のルーツ」と60年の歴史と伝統に輝く、福岡海星女子学院の生徒たちは、その時々の文化が生み出す新しい価値観や問いかけに対する答えをだしつつも、自分の中に揺るぎない一本の軸をしっかりと持ち、「平和の道具」として、自分を他者に差し出すことができる人となると確信しています。

本日はご多用の中、ご臨席を賜りましたご来賓の皆様、並びに創立60周年記念行事にご支援、ご協力いただきましたすべての皆様方に重ねて感謝申し上げますとともに、今後とも本校に、一層のご指導、ご支援をたまわりますよう切にお願い申し上げ、私の式辞といたします。

令和5年12月8日

福岡海星女子学院高等学校

校長 古賀 誠子

生徒会長挨拶
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