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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

「神さまの御心(みこころ)」宗教科 納富 幸夫

 6月のみ言葉は、「あなたたちは真理を知り、真理はあなたたちを自由にする。」(ヨハネによる福音書 第8章32節)です。このみ言葉ほど弟子として歩むに必要な目標が明確に描き出されている箇所は、他には見当たりません。「真理は人を自由にする」というイエス様の言葉をよく理解するためには、32節からだけではなく全体像を見る必要があります。
 まず、弟子と言われる人たちは、イエス様のおっしゃることこそが真理であると受け入れることから始まります。イエス様が神さまの愛について、また人生の真の意味について語られることすべてを受け入れるなら、その時、その人は、イエス様の弟子となると言われています。弟子であること、それはイエス様のみ言葉に絶えず留まることを意味しています。そのことについてヨハネは4つの内容を示しています。
 一つ目は、イエス様のみ言葉に絶えず耳を傾けること。当時の有名な説教師の逸話が残されています。彼が説教する時、しばしば息をつき、休みながら話していましたが、その姿があたかも、ある声に耳を傾けているかのようであったと言われています。弟子とは、イエス様のみ言葉に耳を澄まし、それまでは決定を下さない人だとも言われています。
 二つ目は、イエス様から絶えず学び続けること。弟子とはギリシャ語で「マセーテース(学ぶ者)」です。ですから一生の間、イエス様について学ぶ者でなければなりません。閉ざされた心は、弟子であることの終焉なのです。
 三つ目は、イエス様のみ言葉が持つ真理を洞察すること(ここでの「真理」とは学問上の真理ではなく、イエス様がもたらされた『神の啓示』、また啓示者である『イエス様自身』を指しています〔第14章6節参照〕)。イエス様のみ言葉を一度聞いてその意味を十分に理解することは難しいことかもしれませんが、幾度となく学び、考えることで、自分のものになっていきます。
 四つ目は、イエス様のみ言葉に絶えず従うこと。私たちがイエス様のみ言葉に学ぶことは、神さまが私たちに何をするように望んでおられるのかを見出すためです。弟子とは、何かをなすべく学ぶ者のことなのです。また、イエス様がもたらされた真理は、行動へと導く真理であると言われています。イエス様から学ぶことは、真理を学ぶことでもあります。ではイエス様のおっしゃった『あなたたちは真理を知るであろう』のみ言葉から、私たちは一体、どんな真理を得るのでしょうか。 
 それは私たちに「人生の本当の意味を示されること」に他なりません。イエス様がもたらされる真理とは、人間の価値観を正しくされます。この真理に照らされて、私たちは、何が本当で、何が重要でないかを判別できるようになります。その最大のものは、『自由をもたらすであろう』と言われたイエス様の四つのみ言葉で表現されています。  
 一つ目は、「恐れからの自由」。イエス様と歩む者には、恐れは消えます。二つ目は、「自我からの自由」。多くの人にとって、自分の最大の困難、最大の敵は、自我です。そのことを十分に承知し、認識していながらも、多くの人が絶望の中から叫んでいます。イエス様には、人を新しく変えることができる程の力があります。三つ目は、「他人からの自由」。自分が人からどう思われるのかということばかりを気にして、神さまの声よりも隣人の声を聞いてしまうことが私たちには多々あります。弟子とは、神さまが何を話されるか、どうお考えになるかということにしか注意を払いません。四つ目は、「罪からの自由」。私たちを罪にしばりつけている鎖を断ち切り、「こうありたい」と考えている人にさせてくれます。聖パウロは『イエス様を信じる人達が、罪の奴隷から自由であることを神に感謝している』とさえ言っています(「ローマ書」第6章17-20節)。イエス様は『罪を犯す者は誰でも、いやしくも自由であるなどとはいえない。』、『罪を犯す者は誰でも罪の奴隷である』、『罪を犯している人間は、自分がやりたいこと、自分が好むことをしているのではなく、実は罪が好むことをしているのだ』とおっしゃいます。当時の人々にだけではなく、現代にも通じる重要な警告をイエス様はお与えになっていらっしゃることを、私たちは忘れてはなりません。

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