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講堂朝礼〜生徒へのメッセージ〜

Messages for Students

「わたしの目には、あなたは高価で尊い、私はあなたを愛している」校長 古賀誠子

梅雨になり、植物が葉を広げ、背丈ものびて、成長しているのがわかります。恵みの雨です。瑞々しい夏野菜をいただけるのも、この雨のおかげです。植物に負けないように、成長したいですね。

今日は、まず、「神のみこころ」について、考えてみたいと思います。「みこころ」という言葉には、皆さんは、「主の祈り」の中で、聞いたことがあります。みこころは、御心と書きます。「みこころが天に行われる通り、地にも行われますように」言い換えると、「神様の心が天国で行われる通り、この地上でも行われますように。」ということです。さらに深めてみましょう。

キリスト教では、「神のみこころ」とは、神様が私たち一人ひとりに願っておられること、「生き方の方向」を意味します。以前にもお話した通り、私たち人間は、自分の生き方を選ぶ自由が与えられています。したがって、「あなたの選んだ生き方が、神様があなたに望んでおられることと一致しますように」それが、「みこころが地にも行われますように」の意味であると考えていいでしょう。

「神様の願い」と聞くと、何か特別なことをしなければならないように感じる人もいるかもしれません。誰かのために大きな奉仕をすることや、地位や名誉がある立派な人間にならなければならないと思うかもしれません。けれども、イエス様が教えられた「神のみこころ」は、もっと身近な、日常の中にあります。

現実に目を転じてみます。たとえば、独りでいる友人に寄り添って、優しい声をかける、自分と違う考えを持つ人の話を最後まで聞いてみる、失敗した人を責めるのではなく、もう一度やり直せるように、そばで見守り支えるなど、そうした皆さんの一つひとつの行いの中に、神様のみこころが表れます。

この時期になると、人間関係の悩みがでてきます。人との出会いや関わりの中で、「自分と違う人」に出会うことがとても多くなる時です。考え方が合わない人、話し方が苦手だと感じる人、価値観が違う人、行動が理解できない人などです。そのような相手に出会うと、私たちはつい攻撃的になって、「あの人より、私の方が正しい」と思う傾向にあります。そして、自分と同じ考えの人だけと一緒にいて、気に入らない人は排除してやろうという傾向にあります。しかしながら、それは「自分の物差し」によって、相手を計り、「わたしは、あなたとわたしの違いを受け入れることができない、心貧しい人間です」と言っているにすぎません。そこで、「自分の物差し」という言葉に対して、「神様の物差し」という言葉があります。では、神様の物差しで、わたしたちは、どのように計られているのでしょうか。

神様は、一人ひとりをあえて異なる存在として造られました。神様は、すべてを創造されたあと、それらを「きわめてよかった」と表現されています。ひとり一人の顔が違うように、性格も人柄も違います。得意なことも違えば、苦手なものも違います。育った環境が違えば、生活習慣も異なります。生活習慣が異なれば、価値観も違ってきます。神様はそれらすべてを見て「きわめてよかった」とされました。

私たちは時折、これらの「違い」によって、争おうことをします。しかし、人が、みんな自分と同じだったら、世の中はどうなるのでしょう。きっとつまらないものに思えるでしょう。不自由を感じます。覚えておいて欲しいのです、人は、性格・人柄・文化・宗教・性別・価値観が違うからこそ、対話によって、知恵をだし、協力し合えば、どんな困難にも打ち勝つ大きな力が生みだすことができるのです。

「人との違い」、すなわち「多様性」は、人を豊かにするものです。聖書から引き出された神様のみこころ、「18歳のわたくし」は、次のように言います。「自分と異なる様々な考えに心を開き、柔軟な姿勢で生きることの大切さを知ることが出来ますように」このことは、高校生になると、もう十分達成できる目標レベルです。

そしてもう一つ、忘れてはならないことがあります。それは、「自分自身の存在を大切にすること」です。自分の中に動揺があれば、人を愛することができません。自分の中にないものをひとに与えられるはずがありません。皆さんは日々、多くのものと比べられる社会の中で生きています。テストの点数、運動の成績、人間関係、SNSの反応、進路などです。気づかないうちに、「もっとできる人にならなければ」「失敗してはいけない」「人より優れていなければ価値がない」と思ってしまうことがあります。

しかし、キリスト教は、そのような考え方とは異なる視座を私たちに与えます。「何ができるか」よりも、「あなたが存在していること」を大切にする宗教です。こどもは、親から、勉強ができるから愛されるのでしょうか。運動が得意だから愛されるのでしょうか。容姿端麗だから愛されるのでしょうか。そうではありません。皆さんは、そこに存在しているだけで、かけがえのない存在として、たくさんご両親から、ご家族から、愛されてきました。

これと同じように、神様も私たちを見ておられます。聖書、イザヤ書43章、「わたしの目には、あなたは高価で尊い、わたしはあなたを愛している」これは、「あなたはあなたのままで大切だ」という意味です。

「神様のみこころが、今日もあなたの教室で行われますように。」まず、あなたから行動してみてください。

心穏やかに、勉学に集中して、よき一日をお過ごしください。

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